日本煉瓦製造専用線廃線跡探訪
深谷(埼玉県深谷市)〜日本煉瓦製造上敷免工場(埼玉県深谷市) 4.2km


日本煉瓦製造専用線の概要
日本煉瓦製造上敷免工場は深谷市北部の利根川に程近い場所にあり、かつては利根川を使った利根川舟運で東京を経て全国へ向けてレンガを輸送していました。
しかし舟運ではスピードや輸送力に欠けるため、1884年に上野から高崎まで開通した日本鉄道(現在のJR高崎線)を利用した鉄道輸送への切り替えを考え、1895年7月に工場から日本鉄道の深谷駅まで国内初の民間専用線を引き、鉄道による輸送を開始しました。
この工場で製造されたレンガはこの専用線を使って全国各地へ運ばれ、迎賓館や東京駅、碓氷峠の第三アーチ橋など、現在でも有名な建造物に多く使用されています。しかし、昭和後半からはトラック輸送がメインとなり、これにより1975年3月に専用線は廃止となりました。
その後、日本煉瓦製造自体も、近年の煉瓦需要減と原油高で業績が悪化し、2006年6月末日を以って百二十年の長い歴史にピリオドを打つこととなりました…

ちなみに、この工場のおかげで深谷市は一躍「レンガとネギの町」となり、JR深谷駅をはじめ、現在も市内の多くの建造物がレンガをイメージした建物になっています。


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深谷駅
Fukaya Sta.


関東の駅100選にも選ばれている深谷駅。
これから辿る廃線跡の終点である日本煉瓦製造で製造された煉瓦で東京駅が造られたことから、それに因んで東京駅をイメージした橋上駅に1996年に改築されました。

廃線跡は1番線ホームの裏手から遊歩道として始まり、上野方向へ向かってしばらくの間高崎線と併走します。
深谷市 西島町三丁目

深谷駅から300mくらいは高崎線と併走します。
その間に唐沢川という小さな川を渡りますが、そこは鉄橋をそのまま歩行者用の橋として再利用しています。

橋台部分も現役当時のまま、立派なレンガ造りになっています。
深谷市 寿町

廃線跡は現在は『あかね通り』という遊歩道に整備され、約4キロ先の終点である日本煉瓦製造の工場までずっと遊歩道が続いています。

高崎線から分かれると、廃線跡は利根川方面に向かって左に大きくカーブします。
深谷市 原郷

ここで中山道を横断します。

よく見えませんが、横断歩道の所に立っている街灯の後に江戸時代に建てられた旧・深谷宿常夜燈が建っています。
深谷市 常盤町

国道17号線とクロスします。
当時はここに踏切があったのでしょうか、現在は歩行者は歩道橋を使用するため、下には横断歩道などはありません。

道路わきに謎の杭が刺さっていましたが、これは鉄道線との土地境を示すものだったのでしょうか?
深谷市 常盤町

歩道橋を渡ったところ。

右は工場、左は深谷商業高校ということで、両側とも高い塀が続いています。
塀ばかりで出入口がどこにもないあたりが、昔ここが線路であったことを物語っています。
深谷市 常盤町

しばらく走ると市街化調整区域に入ったのか、いきなり人家がまばらになります。

広大に広がるネギ畑の中を、街路樹が植えられ整然と整備された廃線跡が延々と続きます。

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