上武鉄道日丹線廃線跡探訪
丹荘(埼玉県神川町)〜 西武化学前(埼玉県神川町) 6.1km


上武鉄道日丹線の概要
上武鉄道日丹線は1941年9月に日本ニッケル工業(現・朝日工業)〜丹荘駅間6.1kmを結ぶ路線として開業しました。当初は日本ニッケルへの資材輸送の貨物専用線として運転されていましたが、6年後の1947年、貨物に小型木造客車を連結して旅客輸送を開始、西武化学前〜丹荘までの途中に3ヶ所の停車場が設置されました。
その後、1960年に日本ニッケル工業は西武化学工業に社名が変更され、1962年には上武鉄道に改称されました。しかし乗客数が伸びず、1972年には旅客輸送が廃止、1986年12月には資材輸送もトラック輸送に切り替わり、全線が廃止されました。


ショートカット 1 / /

丹荘駅
Tansho Sta.


始発地であるJR八高線丹荘駅。
駅舎は歴史あるレトロな感じの木造駅舎で、小さいながらもちゃんとした有人駅でした。

跨線橋から見ると駅の反対側には広大な空地が広がっており、かつてここに上武鉄道のホームがあったということを物語っています。
神川町 関口

丹荘駅を出ると廃線跡はすぐに左へ大きくカーブし、バス通りである県道22号線を横断します。

踏切跡の前には制御ボックスや信号が現在もなお放置されたままでした…
神川町 植竹

県道を横断したところからしばらくの間は町道として整備されています。
しかし、すぐ隣を県道が併走しているためか、車の通りはまったくありませんでした…

八高線分岐地点から600メートルほど行くと、町道は『健康緑道』という名の遊歩道に姿を変えます。
神川町 中新里

しばらく歩くと遊歩道と町道が併走している部分がありました。このような光景が見られるのも廃線跡ならではという感じがします。
神川町 中新里

牛舎などのどかな風景が広がる中を廃線跡は南西方向に向かって一直線に続きます。

コスモスの咲く町としてアピールしているだけあって、廃線跡沿いではコスモスの花があちこちで見られました。
神川中学校前駅
Kamikawa chugakkou mae Sta.


丹荘駅から約1.4キロで一つ目の駅である神川中学校前駅に到着。
遺構としてホームが残されていましたが、ホームの長さは客車一両分しかなく、この路線はやはり貨物がメインであったことが伺えます。

併走する県道から駅を眺めてみると…そこはどう見ても普通の民家の庭先。予備知識のない人が見たらとてもそこが駅だとはまず気付かないでしょう。

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